遺書
  • 海軍大尉 小野寺治命
    昭和二十年六月十三日
    沖縄島方面にて戦死
    宮城県栗原郡有賀村出身
    三十九歳

日本に 生を禀(う)けし 男子が
       御盾となりて 散るぞ嬉しき

生ある者は必ず死す。国難に殉ずるは男子の本懐、之に過ぐるなし。喜んで殉ず。
軍人の妻として、今日あるを覚悟し、決して取乱すべ可らず。
余の亡き後は軍人の妻として、恥かしからざる生活をせよ。
博重は、必ず海陸軍人と致す様、養育すべし。
浩子は、婦女子として恥かしからざる教育を致させ、良縁があったら嫁(とつ)がすべし。
御腹の子供が男子であったら、博重と同様軍人に致し、女子の場合、浩子同様嫁がすべし。
余の亡き後は、速やかに帰郷致し、養父母に孝養を尽すべし。
決して世間の人様から後指を指されない様、心得る可し。
余の肉体は滅す共、精神は護国の鬼と化して朝敵を亡ぼす。
浮世の荒波に打ち勝って、子供の教育に専心すべし。
御前達の幸福を見守る。

右、遺言す。

昭和十五年十一月二十九日
                                       治
 悦子殿

(原文のまま)

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