遺言書
  • 陸軍准尉 喜多富夫命
    昭和二十一年五月二十三日
    シンガポール・チャンギーにて法務死
    大阪府茨木市大字道祖本出身 三十歳

国に生を禀(う)け最後の筆を執る。
拾有余年、軍隊生活を満洲、支那に将(はた)又(また)南方戦線に移戦、敢闘茲(ここ)に御慈悲深き御両親、血肉分けたる兄弟及び妻子より先逝し、従容(しょうよう)として死に就き国家の礎となる。
思ふに生を稟(う)くる間、御情け深き御両親の御意志にも副(そ)ひあたはず、実に申訳なく存じます。
脳裏を故郷に回顧せば隆々たる喜多家に生ひ立ち、彼の家屋、彼の門其の幼相面影懐かしく、唯感慨無量に堪へず、私の死は決して万人に恥づる事なきを堅く誓ふ。
細部は必ず誰か達すると思考するも、天は知り神も能(よ)く〱御存じの筈です。
私生存中の気質承知の筈、信じて下さい。唯々世間に与へる風評其れのみが非常に心配であり、心残りであります。
亦、血肉わけたる兄弟の安否を気遣ふ。    

沖縄九州方面に奮戦中の吉治兄は?
原子爆弾に依る広島の敏時兄は?     
ビルマ方面に勇戦敢闘中の一夫弟は? 
国土防衛空の荒鷲の勉弟は?

皆夫々推察する時、生死を超越し御両親の御膝下(しっか)に帰しあるを神掛けて祈るのみです。
(中  略)

命日は昭和二十一年五月二十三日と思考。連合国軍より遺品として将校用絨製(じゅうせい)軍衣袴(私製)を送付せられる筈。当服は小官常時着用せるものであります。
最後に喜多家御一同様の隆替(りゅうたい)と万福を祈り、之を守護す。

  昭和二十一年五月二十三日 三時書く             陸軍准尉 喜多富夫

喜多佐太郎様
同  キト様
御一同様

(原文のまま)

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