中国の古典、『荀子』勧学篇「君子は居るに必ず郷を擇び、遊ぶに必ず士に就く」から「遊」「就」を撰んだものです。国のために尊い命を捧げられた英霊のご遺徳に触れ、学んでいただきたいという願いが館名には籠められています。
◆遊就館は明治10年の西南戦争が終わるころ設立の構想が出され、同12年に陸軍卿・山県有朋を中心に、「御祭神の遺徳を尊び、また古来の武具などを展示する施設」として構想され、イタリアの雇教師カペレッティーの設計により、明治14年にイタリア古城式の建物が竣工し、翌15年2月25日に開館式が行われました。
館名は、構想段階で正式名称が決定するまでは「額堂並に武器陳列場」と仮称されていましたが、後の宮内大臣 田中光顕伯爵が学者吉雄菊瀕の原案に基づいて正式名称を「遊就館」と決定しました。
◆その後、日清・日露両戦争、第一次世界大戦等を経て、増改築、別棟新設など館の拡充が進められますが、大正12年の関東大震災でレンガ造りの建物は大破し、撤去の已むなきに至ります。
翌13年、取り敢えず仮館を建設し、規模を縮小して開館しますが、昭和天皇が即位の大礼を行われた昭和3年2月、復旧建築委員会がおかれ、復旧が急がれました。近代東洋式(帝冠様式)の本館を再建すべく、東京帝大の伊東忠太教授を顧問に準備を開始し、昭和5年に地鎮祭催行、建物が翌6年に竣工、そして昭和7年の4月26日に開館記念式典が行われ、遊就館の復旧が完了しました。更に昭和9年、国民への軍事知識普及のため付属の国防館(現靖國会館)も建設されました。
◆大東亜戦争中、昭和20年5月の空襲により、大ホール周辺の展示室に被害があり、別館は焼失し、蔵書や幕末以来の貴重な絵画類を失いました。また敗戦により9月11日に「遊就館令」が廃止され、64年に及んだ遊就館の機能は停止しました。遊就館の建物はその後、占領軍に社屋を接収された富国生命保険相互株式会社の本社事務所として昭和55年まで使用されます。
◆昭和34年、ご創立90年に際し日本橋三越にて開催された「靖國神社展」で遊就館の所蔵品を公開したことがきっかけとなり、昭和36年4月より靖國会館2階を改修して「靖國神社宝物遺品館」とし、宝物遺品の陳列展示を再開、皇族方もご覧になられました。
◆昭和55年になると、いよいよ遊就館再開の準備が本格的に始められ、昭和60年12月、遊就館改修工事竣工、昭和61年7月、展示内容等を充実し、およそ40年ぶりに遊就館は再開されました。その後、靖國神社御創立130年を記念して、平成14年7月13日、本館を全面改装、展示手法・展示内容も一新し、更に映像ホールを備えた新館を増設。ガラス張りのホールの中に零戦を初め、野外展示物を収納し現在に至っており、世代を越え、多くの方々にご拝観いただいております。
遊就館は、22部屋の展示室と2つの映像ホールより構成されています。
展示室では主に、英霊のご遺書・ご遺品と歴史記述パネルを展示しております。
映像ホールでは、靖國神社や、英霊に関する映画を上映しています。
元帥刀を中心に著名な和歌を展示。先人たちが、いかにしてこの国を守ろうとしてきたのか、その「こころ」が描かれています。
ご創建以来、靖國神社が収蔵している刀、武具甲冑などを、時代の流れに沿って展示。古代から江戸時代に至る「武の精神」を表現する、これらの刀や武具甲冑の機能性や装飾の変遷をご覧いただけます。
我が国が近代国家としての基礎を固める、幕末から戊辰戦争に至るまでのご遺品・史資料を展示しています。吉田松陰・坂本龍馬をはじめ靖國神社の御祭神となられた志士にゆかりの品々、また戊辰戦争において使用された錦の御旗やその当時の様子を今に伝える絵画など、多くの史・資料を展示しています。
政府の施策に対する士族の不満を背景に、西郷隆盛を中心に鹿児島にて勃発した西南戦争や、その中で最も激戦となった熊本城籠城戦での御祭神のご遺品や、史・資料を中心に展示しています。
明治2年6月29日、戊辰戦争の官軍側戦歿者を祀った「招魂社」のご創立に至る靖國神社の歴史について記述しています。
天皇陛下より下賜された御神宝や太政官御沙汰書などを展示しています。皇室と靖國神社との深いつながりを知ることができます。
近代化した我が国が初めて戦った対外戦争である日清戦争に関わるご遺品、史・資料を展示しています。戦前の教科書『修身』に登場するラッパ卒木口小平命を描いた絵画等を展示しています。
展示室内で上映している映像では、日清戦争後の状況や日露戦争開戦から日本海海戦までの戦況を見ることができます。また、当時、戦勝を記念して将兵の凱旋を出迎えるために上野公園に建てられた凱旋門の模型や、海軍中将・陸軍中将の正装も展示されています。
日露戦争の勝利は、我が国にひと時の平和をもたらしましたが、国際情勢は変転してやまず、第一次世界大戦に続き、昭和6年には満洲事変が勃発します。これらの情勢を記述し、海の軍神 廣瀬武夫命や陸の軍神 橘周太命を始め、関係御祭神のご遺品、史・資料を展示しています。
戦歿者の御霊を御本殿に奉遷申し上げる「招魂式」。この部屋では、昭和15年春の招魂式を再現し、解説を行っており、月明の照らす中、執り行われる荘厳な儀式の様子を感じることができます。また、参列遺族に配られた遺族徽章や、当時の遊就館参観券などを資料として展示しています。
昭和12年7月7日の蘆溝橋事件に始まる「支那事変」及び「ノモンハン事件」などの経緯について詳しく解説を行っています。また、海軍少佐 南郷茂章命や、陸軍歩兵大尉 西住小次郎命を始め、多くの御祭神のご遺品、史・資料を展示しています。
第二次世界大戦直前の世界情勢、米国との戦争を避けるべく行われた日米交渉などが史・資料とともに記述されています。また、上映されている映像「支那事変全線総攻撃」は、当時の戦況を国内に報じたニュース映像で、大変貴重な映像です。
ハワイ真珠湾攻撃で、奇襲作戦成功を告げた電文「トラ・トラ・トラ」や、空挺隊員が使用した落下傘など、日本の進攻作戦についての所蔵品を、歴史解説と共に展示しています。
ミッドウェー海戦をはじめ攻防の転換点となる戦い、その後のインパール作戦などの守勢作戦、また昭和19年10月から始まる特攻作戦についての解説や、特攻隊員を見送った「女子挺身隊の血染めの日章旗」を始め、関係する御祭神のご遺品などを展示しています。
日米両軍にとって航空作戦遂行上不可欠の要地、硫黄島をめぐる戦い、米軍による無差別爆撃を迎え撃った本土防空戦及び、県民も一体となり戦った沖縄作戦に関する解説を行っています。また、硫黄島で指揮をとった陸軍大将 栗林忠道命揮毫の掛軸や、戦艦「大和」艦長の海軍中将 有賀幸作命のご遺書など、関係する御祭神のご遺品などを展示しています。
終戦時の状況、8月15日以降も侵攻をやめないソ連軍に対する戦い、極東国際軍事裁判(東京裁判)や各地の軍事裁判で処刑されたり、シベリア抑留で亡くなった御祭神のご遺品や史資料、また戦後アジア諸国の独立などに関する展示をしています。
看護婦や軍属、軍需工場員などとして国に仕えた女性御祭神や、戦歿されたオリンピック選手・プロ野球選手等の御祭神のご遺品やご遺書、戦後31年の歳月を経て故郷出雲に漂着した「奇跡の椰子の実」などを展示しています。また、ご遺族より奉納された御祭神のご遺影を壁面に掲げています。設置してあるファイルでご遺影を検索することができます。
ご遺品の展示のほか、ここでは家族に宛てた御祭神のご遺書を読むことができます。
特攻隊員のご遺品、ご遺書、更には花嫁を迎えることなく戦死した英霊に対し、戦後ご遺族から捧げられた「花嫁人形」も展示しています。
中部太平洋西カロリン諸島ヤップ島のジャングルで発見された艦上爆撃機「彗星」や、東部ニューギニアのサラモアにおいて基地防空に活躍した「海軍三年式八糎高角砲」、操縦したまま自らも敵艦に体当たりする人間魚雷「回天」、ロケット特攻機「桜花」、戦車第九連隊の戦友が激戦地サイパンより発掘した「九七式中戦車」などの大型兵器や、アジア・太平洋の戦地にて戦後収集された多くの戦跡収集品を展示しています。
多くの御祭神のご遺影と共に、「今月の英霊の言乃葉」としてご遺書・ご遺品を月毎に入れ替えて展示しています。また、自由記述ノートをご用意しておりますので、ご拝観いただいたご感想を記していただくこともできます。
遊就館の主な展示内容を見ることができます