平成28年09月01日
遊就館出口に置かれた自由記述ノートには、多くの拝観者から率直なご意見・ご感想が記されています。
ここでは、その一部をご紹介いたします。
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【1月】
念願叶い、参拝することが出来ました。祖父と共にノモンハンで戦った方もいらっしゃったと思います。
このノートを読み、正しい心を持った日本人、外国人の方々がこんなにもいるのだな、と勇気づけられました。
また時間をかけてゆっくりと来たいと思います。ありがとうございました。
《 青森県 K 》
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普段簡単に「死ぬ」と言ったりしているけれど、靖國神社に祀られている方々は、死と隣り合わせで過ごし、
本当に亡くなってしまったのだと改めて感じました。きっと、無念であったり悔しさもあったと思います。
そんな思いを抱き、国を守り、散っていった方々の為にも、今を精一杯生きていこうと思いました。
本当にありがとうございました。
どうか安らかにお眠りください。辛いことがあっても、乗り越えていけそうな勇気を頂きました。
本当に、本当に、ありがとうございました。
《 新潟県 十六歳 女性 》
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【2月】
春の就職前にどうしても来たかった場所です。戦争はあってはなりませんが、その当時に実際戦った人達の想いを知り、
後世に残すことは、今日を生きる私たちにとって課せられた使命だと考えています。あの時、様々な場所で、日本の為に、
日本の未来の為に、命を捧げた方々に心から感謝をし、自分はこれからの日本の為になにが出来るのか、いま一度考えます。
《 京都府 二十二歳 大学生 》
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大学入試を受けるために東京へ来ました。少し時間があったので立ち寄りました。
今、医学部を目指していて一浪中ですが、日々勉強はつらく、もうやめたいと思うこともあります。
しかし、そんな弱音を家族に言うと、私の祖父がいつも、「たかだか勉強が苦しいという理由だけで弱音を吐くな」と怒られます。
私の出身県は沖縄県であり、沖縄戦を経験した祖父からは「昔の日本人は、本当に命がけで日本を守ったんだ。
自分の命を投げ打ってまで戦った兵隊さんに比べれば、君の苦労など大した苦労ではない」と言われます。
確かにそうだ、と思います。今の私がこうして勉強できているのは七十年前に戦ってくれた方々のおかげです。
今日はここ靖國に来て、改めてそう感じました。大学に合格したらまたお参りに来ます。
日本を守ってくれた兵隊さん、本当にありがとうございました。私も、私なりにがんばります。
《 沖縄県出身 》
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【3月】
初めて訪れましたが、案内の多さと正確さ(多分…すみません、私自身そんなに詳しくないので)と見易いようにする
アレンジの素晴らしさに驚きました。
最後の御写真は色々と込み上げるものがあり、全てを見られませんでしたが、普段はとても拝見できないものでした。
お祀りされている英霊の方達を、少しでも間近に見られてとても嬉しいです。ありがとうございました。
《 石川県 四十六歳 女性 》
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高校生になる前に訪れることができてよかったです。授業で聞くよりももっとリアルに、身近に戦争について学ぶ、
というか考えを深めることができました。
これからを背負う私達に何が出来るのか。もっと考えていく機会になり、とても良かったです。
《 島根県 高校生 》
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【4月】
今回の参拝は二度目でしたが、ここに来る度に私たちが思う「当たり前」や今の生活は、先人たちが戦い、
もがき苦しみそして散っていった…その結晶なのだろう、と感じます。
どれだけ辛く、大変な時代を生き抜いてきたのだろう。日本という国を築き上げてくれてありがとうございます。
日本という国に生まれてこられて、本当に良かった。
《 24歳 女性 》
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全ての展示物に英語訳をつけるのは大変かもしれませんが、同行者のフランス人に説明するとより深く心情を
理解してくれたようなので、英語訳を全ての展示物にお願い致します。御遺族からのメッセージ展は
あまりにも響きすぎてすべてに目を通すことは出来ませんでした。申し訳なく思いながらも、今日は帰ります。
また来館したいです。
《 フランス在住 三十九歳 日本人女性 》
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【5月】
今まで重苦しい場所というイメージがあり、足を運べずにいましたが、とても空気が澄んでいて、温かい場所でした。
ここは、いろんな方の祈りが集まる場所だと思いました。また来たいと思います。
《 東京都 三十八歳 女性 》
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最近、本当に若い方をたくさん見かけるようになりました。
記述ノートにも、若い方がここで学んでおられることがよく顕れており、頼もしい限りです。
若い人が希望を持って、もっと明るく楽しい日本を自分の手で実現したいと思うような社会を目指したいものです。
かつて日本を守ってくださった方々に顔を向けられないような人生で終わらせてたまるか。
五十一歳のおっさんは、まだまだ頑張ります。来月、またお邪魔できますように。
《 大阪府 男性 》
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【6月】
大東亜戦争で亡くなった人たちが死してまで守りたかったもの。それは、日本という国であり、日本人だったという事が分かった。
戦争で亡くなった人たちのお蔭で今の平和な日本があるのだと思った。それに感謝して日々を生きていきたい。
《 中学生 男性 K.H 》
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私は、戦争を身近に感じた事はありませんでした。ただ、テレビやゲームの出来事、ただそれだけ、そう思って日常を過ごしてきました。
しかし、父から、祖父から話を聞き、戦地めぐりをして、それで「分かったような」感覚になっていました。
この館を訪れて、ようやく、ようやく、戦争について親身になれた。それも私の思い上がりかもしれません。
ですが、今から、社会へ出る私達の出来ることは、どんなにつらい事でも前を向いて歩くことなのです。
それが、亡くなっていった人たちへの償いであり、はなむけであり、征っていった人たちの生きた証となるのです。
日本の為に戦ってくれて、ありがとう。
《 十四歳 男性 》
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【7月】
泣けて、泣けて、七十年後の手紙に。また戦時中、父が整備した「彗星」に会えて泣きました。
エンジン整備員でよく「彗星」のことを話していました。何だか亡くなった父に会ったような気がした。
中々、「彗星」から離れられなかった。またここに来たい。涙が、止まらなかった。
昔の家族の団らんを思い出した。酔えば酔うほど「戦時中」の話をしていた父。
それを母が「こんなのに飛行機の整備させたから負けたんや」とからかい、家族で大笑いしたこと。
なつかしく感じます。楽しいひと時。もう、私一人になったなあ。
《 無記名 》
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戦争の恐ろしさを身にしみて感じる事が出来ました。
今の日本があるのは、戦争で戦っていただいた、私達の先祖がいてこそだと勉強になりました。
「ありがとう」これからの日本が平和であることを祈って空から見守っていてください。
一日、一日を大切にして、生きていきたいと思います。素敵な体験をありがとうございました。
《 和歌山県 中学三年 N.E 》
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