平成28年04月13日
遊就館出口に置かれた自由記述ノートには、多くの拝観者から率直なご意見・ご感想が記されています。
ここでは、その一部をご紹介いたします。
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【1月】
どの時代も国難に際し、先人たちが立ち上がり、国を守ってくださったから、今の日本がある。
私たちも子孫にこの国を引き継ぐために、国難の際は立ち上がる覚悟が必要ではないか。靖国は、
この日本が続く限り必要なものである。また、英霊の皆様に会いに来ます。日々、感謝の気持ちを
持ちつつ、又、覚悟もしつつ生活してまいります。
《 女性 四十六歳 》
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何度目かの来館です。来る度に(年齢を重ねているので)受け取り方が変わり、初めて来た高校生の
頃は送り出す娘の気持ちで考えていて、英霊の方々も年上の精悍なお兄さんだと思っていたのが、
段々と私より年下となり、妻や、送り出す母の気持ちも分かるようになってきました。靖国神社は
多くの誤解を受けていますが、誤解している方々は間違いなく遊就館に来たことがないのだと思います。
遊就館の展示を見て、「戦争っていいなあ」なんて思う人がいるはずないですし、これ以上、平和の
大切さを知らしめる展示はありません、また来ます。
《 東京都 二十九歳 》
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【2月】
ずっと来てみたいと思っていた遊就館に、ようやく来ることが出来ました。年の近い人達が、
父や母への感謝の言葉、そして日本を守るという気持ちをどんな気持ちで綴っていたのか、
想像するだけで胸が締めつけられる思いでした。未来の日本を想って、命をかけて戦い抜いて
くれたたくさんの人の涙や血や、決意の上に我々の暮らしがあるのだと、改めて痛感しました。
この人たちが生きたいと願った、一日を、一年を、心を込めて生きてゆこうと思った。
《 千葉県 二十一歳 女性 》
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今回、三度目の靖国神社参拝でした。来る度に平和の大切さ、家族の大事さ、そして毎回を感謝して
生きていかなければならないと実感します。
特に今回の「家族からの手紙」は考えさせられました。これからも自分に出来ることを一生懸命やり、
平和のありがたさを実感していきたいと思います。これからも私達を見守っていただけたら嬉しいです。
《 Y.M 》
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【3月】
時間をかけ、全ての展示を拝見させていただきました。
思う事は人それぞれ違えども、考える事は違えども、まずは一目多くの方々に見て頂けたらと思います。
何事も知ることから始まります。多くの人の目に留まり、平和を再考するきっかけとなることを祈っています。
《 山梨県 十八歳 男性 》
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靖国参拝、話は聞けど来たことはありませんでした。思いも想いも十人十色。
しかし今の私が在るのは先人の、英霊のおかげです。私も国民を守る公務に従事する者。
先人が何に悩み、何を守りたかったか、今の私には先人の道は見えても私の道は見えません。
しかし、今日を境に私は私の道を歩めます。守るべきもの、大切なものの為に生きてゆけます。
ありがとうございます。
《 三十一歳 男性 》
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【4月】
初めて来たのですが、本当に考えさせられ、たくさんの事を学ぶことが出来ました。
これからの日本のこと、周りにいる大切な人々を自分は守っていきたいと強く思いました。
自分に出来ることを、始めたいです。
《 群馬県 二十六歳 》
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あまりにも内容が濃いため、全てを見ることはできませんでしたが、戦争で失った家族のお手紙は、
涙が出て止まりませんでした。これからの日本のあり方を考える、貴重な時間でした。
ありがとうございます。
《 カリフォルニア州 四十四歳 》
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【5月】
自分の進む道に自信が持てず、二十歳になるまでに一度きちんと行こう、と決めていた「ここ」へようやく来ることが出来ました。
静かに自分と向き合い、進むことを決めました。今、ここに生きて進めていることに感謝します。
《 十九歳 A 》
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靖国神社に参拝させていただき、遊就館に初めて参りました。素晴らしい所でした。
日本の歴史の力強さを実感しました。そして多くの戦争で亡くなられた方々の御冥福を祈ると共に、
心より日本の為に戦って下さった方々に感謝いたします。ありがとうございました。
《 各務原市 H.H 》
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【6月】
母と娘とわたし、三代で昇殿参拝に参りました。祖父達、先人の日本人の皆様に支えられて
今の私達の暮らしがある事に、またあらためて深く感謝しております。
二度とこのような不幸が起きぬよう、私達は皆様の事を忘れずに語り継ぐことの責任を感じております。
どうぞ天国で見守っていてください。皆様が大切に守り遺してくださった日本を
、大切に子ども達に渡せるよう、努力して参ります。
《 東京都 五十代 S.K 》
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遊就館の展示を見ていると、幕末から明治維新、そして昭和の太平洋戦争へと続く近代史の事が良く理解できます。
国の為に戦い亡くなっていかれた英霊に感謝を捧げるだけでなく、その時代を立派に生きられた姿に感動し、
本当に立派だったと思います。近代史の展示を拝見し、日本のどこが悪いのでしょう?国を護ろうとした私たちの先祖は、
とても立派でした。日本人として生まれ、日本に育って私はよかったと思います。
《 Y.S 》
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【7月】
明日、二十六歳の誕生日を迎える私。幼い頃に思い描いていた二十六歳ってもっと大人の女性という感じでした。
今日ここに訪れて、自身と同じ年の子たちが勇敢に闘い、散って行ったことを知りました。彼らはなんて勇ましいんだろう。
自身はなんて世間を知らない人間なんだろうと打ちのめされた。平和ぼけしていました。
未来の日本の平和を願って、戦地に向かっていった人たち。私たちの生きる平和な今があるのは彼らのおかげ。
今というとても幸せな日々をつくってくれた彼らのために自分は今何をすべきか。このままじゃダメ。
もっともっと一日一日を大切に生きていこうと誓いました。自身が将来の日本を担う人間だという自覚を持ってこれから
気持ちを入れ換えがんばります!ずっと、平和が続きますように。
《 愛媛県 M.I 》
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「戦争は二度としてはいけない」等という言葉だけで終わらせてはいけない。大東亜戦争はどうして起きてしまったのか。
国内の当時の状況、また外的な原因、それぞれを現在の日本人が学ぶことで、将来の平和な国家が出来るのではないか。
日本人としての誇りを持ち、国のために戦って下さった英霊の方々に感謝し家族を大切にする心を持ち、現在に生きる我々が
今やらなければいけない事を頑張ることが、英霊の方々に恥じない生き方なのではないだろうか。
《 無記名 》
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【8月】
十年ぶりに来ました。戦後七十年、今年は必ず来たいと思って実行に移しました。十年ぶりの遊就館。
かなり自分自身の「感じ方」が変わっていました。戦後七十年関連の特番、映画を沢山観てからの訪問だったからだと思います。
正しい予備知識をもって訪れ感じる事は大切だと思いました。開館から閉館までいてしまった自分にもびっくりです。
きちんと観させてもらったら丸一日でも足りないということです。もう絶対に、誰一人戦争で死なせない!
《 千葉県 四十二歳 女性 》
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私の娘が結婚します。新郎の祖父は硫黄島で戦死されていると聞かされ、思い立って靖国神社に正式参拝いたしました。
何かの御縁で親戚とさせていただきます。立派な青年に嫁ぐことが出来るのも、おじい様のおかげと思います。
生活するのも困難な硫黄島で尊い生命を落とされましたが、そのお孫さんと夫婦となり、娘は、生きてまいります。
どうぞ天から、お守りくださいませ。
《 無記名 》
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【9月】
前回、遊就館に来たのは何時だったでしょうか。今は結婚し、娘も生まれ、親と二世帯での生活となり、当時とは環境もガラッと変わりました。
そのせいなのか、今回は遊就館に展示されている、英霊の方々の御家族への手紙を読んで、とても共感ある部分がありました。
英霊の方々はたしかに日本国の為に自らの命をかけて戦地へ行かれたのですが、その日本国の為というのは民族、天皇、国土、そして一番にはやはり御家族への愛があったのだと感じました。社会環境も変化し、
私達、今を生きる人々が自分達だけで生きているという錯覚におちいりやすくなって来ているように感じます。私達は
長い日本民族の歴史の中の一部であり、それは私達の子や孫の世代にも続いていくという考えが出来れば自然と
考え方や行動も変わってくると思います。また数年後、今度は家族と一緒に来たいと思います。ありがとうございました。
《 静岡県 Y 》
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私は内科医として働いています。はじめてこの資料館に来ました。先日亡くなった九十七歳の患者さんが、
亡くなる前に一昨年靖国神社に行ったんだとお話をされていました。遊就館のゼロ戦と同じ型の飛行機に乗るはずだったと、
訓練中に怪我をして特攻隊として出撃する前に終戦したと。それから毎年國神社にお参りしているが、
もう最後かなあと、言われていたと、御家族にうかがいました。
私は三十八歳です。戦争の事も無知です。ですが、靖国で会おうと命を落とした当時の若者たちの心のよりどころとして、
この靖国神社を守っていってもらえたらと思います。
《 山口県 三十八歳 》
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【10月】
涙が止まらず、途中で部屋を出ました。次回、また心を落ち着かせ来館したいと思います。
《 兵庫県 四十三歳 女性 》
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初めて来ました。何度も泣きそうになりながら見て回りました。戦争はダメ、と思考停止してしまうのではなく、何故戦ったのか、
皆何を願っていたのか、忘れてはいけないと思います。「戦争の愚かさ」と単純に言ってしまう人が多いですが、
「愚かさ」という言葉で当時の一生懸命に生きた人々を片づけてほしくないです。まるで私たちの御先祖様が、
愚か者であったかのように言い捨てるのはやめてほしい。悲惨な時代があったからこそ、今の日本があるのだと思います。
英霊の皆様が守ってくださった日本という国をこれからも守り続けなくてはならないという気持ちを新たにしました。
《 二十九歳 女性 》
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【11月】
日々の仕事の悩みに頭をかかえておりましたが、そんな自分のちっぽけさに恥じ入るばかりです。
今生きている私たちが、がんばらなければ、という気持ちになりました。本当に今日は来て良かったです。
《 北海道 K.T 》
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今年で戦後七十年。あなたが守ろうとした日本は、今の姿で良いのでしょうか。あなた方が誇りと命をかけて守った日本。
今、恥ずかしい姿ではないか、私なりに自問自答を繰り返しますが、答えは出ません。私は福島県から来ました。
福島の復興の為に邁進しているつもりですが、毎日、壁に突き当たってばかり。どうしたら良いのか、悩み、本日、
英霊の方々にお会いしに来ました。命を懸けて日本を守った英霊の方々のように、私も日本人としての誇り、
福島県人としての使命感を忘れず、これからの人生を福島のために捧げる覚悟が出来ました。絶対に福島を再起させる。
英霊との約束です。ありがとうございました。
《 福島県 公務員 》
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【12月】
平和について考えさせられました。すごく分かりやすい展示の仕方で見やすかったです。
《 東京都 二十二歳 女性 》
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思想以前に国を愛する気持ちありきであったと信じたい。
歩んだ道は大変であったが、この先人達が残した歴史を糧に我々は未来を考えるべきだと思えた。来て良かった。
《 無記名 》
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